比叡山の七不思議とは

比叡山延暦寺に古くから言い伝えられてきた七不思議---時に山や信仰を守り、時に人々を戒めてきた伝説の数々は、今も語りつがれて比叡山で生きています。

  
(東塔エリア)

①総持坊:一つ目小僧
延暦寺東塔に総持坊という修行道場があります。その玄関に、一つ目・一本足で奇妙な僧の額が掲げられています。
この僧は元三大師(がんざんだいし)良源(りょうげん)の弟子であった慈(じ)忍和尚(じにんかしょう)です。お山を愛し、信念に燃えた聖僧でした。亡くなったあとも、一つ目小僧に変化(へんげ)して、「修行僧よ、僧侶の本分を忘れるなかれ」と、修行を怠ける僧を見つけては、手に持った鈴(れい)を鳴らし戒め、お山を守り続けたのです。

② 南光坊跡:なすび婆
現在は石碑が建つのみの南光坊ですが、かつては荘厳な建物がありました。
その昔、ある夜更けに南光坊の門を叩く音がしました。小僧が出てみると、なすび色の顔をした不気味な老婆が現れ、やがてふっと姿を消しました。
怪しげだが、どこか気品のあるその老婆はおよそ800年前、宮中の女官であった頃、生肉を好み、殺生をした報いから魔界に堕ちたのでした。しかし生前から自分の悪業に悩み、信仰を続けていたので、身は魔界であっても心は比叡山に住むことを許されたのです。
織田信長の比叡山焼討ちの際、大講堂鐘楼の鐘をついて非常の急を知らせてくれたのは、ほかでもないこのなすび婆であったのでした。
鐘楼は昭和31年に焼失してしまいましたが再建されて、現在は誰でも撞くことのできる「開運の鐘」として親しまれています。

③ 船坂:船坂のもや船
延暦寺会館の前の坂道を少し下ると、急な坂が現れます。ここを船坂といいます。
その昔、比叡山が女人禁制であったころ、出家し修行僧になった子を持つ母親や、この山に思いを残してこの世を去った女性たちが多くいました。これらの亡者が比叡山特有のもやを利用して、参詣のために船でこの坂に訪れては、念仏を唱えていました。
ある時、これを見た僧が後をつけていくと、振り返った亡者と目が合い、途端に失神し、うなされ続けたといいます。

④ 五智院跡:おとめの水垢離
船坂の途中にある法然堂から、更に下った五智院跡にまつわる伝説です。
五智院の僧が、夜中に仏間で物音がするので目をさますと、古い位牌がガタガタと動いていました。やがて谷あいから水を浴びる音が聞こえたので、気になり、谷におりてみると、うるわしき美女が水ごりをしていました。
美女は「仏間の位牌は私のものです。魂を比叡山にあずけて修行すれば、幸多き来世が約束されると教えられ、行を積んでいます。僧よ、好奇心のために神秘や尊厳を傷つけてはなりません」と僧に告げて消えたと伝えられます。

  
(西塔エリア)

⑤ にない堂:一文字狸
延暦寺西塔のにない堂に、毎日たぬきばかり彫り続けている真弁(しんべん)という修行僧がいました。
ある夜のこと、突然目の前に巨大なたぬきが現れました。見上げると身の丈およそ10メートル。眉毛が白く一文字に引かれています。「われは昔からここに住む一文字たぬきだ。たぬきを愛するのはいいが、あそび心で彫るのは感心しない。千体のたぬきを彫れ。そうすれば、われは山を守り続けよう」と真弁に伝えました。
こうして千体たぬきの傑作は彫られましたが、残念ながら信長の焼き討ちで失ってしまいました。

  
(横川エリア)

⑥ 龍ヶ池:大蛇
昔この池に大蛇が住みつき危害を加えていました。幾多の僧が退治に出かけますが、いっこうにらちがあきません。そこに一人の高僧が登場し呪文を唱え妖怪退治を祈念したところ、高僧の威厳におされたのか、たちまち雷鳴を轟かせながら、巨体に変身しました。そこで高僧が「ではこの手のひらに乗れるか?」とおだてるように手を出したところ、調子の乗った大蛇は、たちまち小さくなり高僧の手に乗りました。高僧はここぞとばかりに握りしめ壺に封じ、見事に退治しました。
その後、大蛇も反省し、横川の地を訪れる人の道中の安全と心願の成就に助力するようになったといわれています。
「その手に乗るな」ということわざは、ここから由来したと伝えられます。

⑦ 横川中堂:六道踊り
恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)による日本の念仏信仰の発祥である横川の地に、およそ400年前、秀吉の側室であった淀君の発願で横川中堂が再建されました。その年のお盆は、僧と村人たちによって、横川中堂前の広場で、盛大な法要が行れました。
僧たちが寝静まった夜中、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人の六道の亡者たちが集ってきました。お香や花を供えて盆供養をして、やがて踊りはじめました。踊りは夜通し続き、どれもこの世のものとは思えない楽しさです。やがて夜が明けホトトギスが鳴き始めると、何事もなかったように静かな横川の朝がやってきたのでした。